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美少女フィギュア・ネコ・バイク・時々車

美少女フィギュアを中心に、ネコ、趣味であるバイク(時々車)に関するブログです。

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遥と斬られし薩摩隼人

ネ申童女「阿瀬 光」、日本動乱史フィギュア「島津 霧子」ジオラマの制作…
行き詰まった訳ではありませんが、繊細な作業が続くと荒っぽい作業がしたくなります。

そこで…またもや習作を作り始めました。

仮名「遥(はるか)」

作業があっちに行ったりこっちに戻ったりしつつ、最後には完成させねばなりません。

息抜きとして違う作品を作ることは時間を無駄にせず、実に合理的だと思います。

遥
★足下には斬られし薩摩隼人、赤髪のフィギュアは余ったレジンで作った「歩」です。
訳あってモザイク(笑)




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| 島津霧子 | 21:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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劔の山

以前書いたブログにて、重大な訂正があります。

それは西南の役、最大の激戦…田原坂の戦いにおける、土塁についての記述です。
自分はてっきり土塁を築いたのが、政府軍だと勘違いをしていました。
その後気になり、良く調べて見ると、高い土塁を作ったのは薩軍の方でした。

田原坂を政府軍に突破されたら薩軍の不利は自明の理。
その為に高い防御壁を作り、わら人形で偽装し、政府軍を迎え討った、と言うが史実のようです。

恐怖から来るものではなく、あくまで戦略的な意味を持つ土塁…
結果的に政府軍はこの土塁をなかなか突破できず、多数の死傷者を出すこととなりました。

そして、この土塁を越えた処は…まさに軍歌「抜刀隊」歌詞3番!

前を望めば劔なり 右も左りも皆 劔
劔の山に登らんは 未来の事と聞きつるに
此世(この世)に於いて目の当たり 劔の山に登るのも
我が身のなせる罪業を 滅ぼす為にあらずして
賊を征伐するが為 劔の山もなんのその
敵を亡ぶる夫迄は 進めや進め諸共に
玉ちる劔抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし

「抜刀隊 陸軍分列行進曲」(全番)はコチラ

土嚢
★土塁、取りあえず原型完成。


| 島津霧子 | 15:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ローマは一日して成らず

ローマは一日にして成らず…千里の道も一歩から…
やるべきことを一つ一つこなし、終わらせて行くしか方法がないことは重々承知しておりますが…
地味で過酷な作業は辛いです。
いや、辛いと言うより、つまらない、と言った方が正解かな。

霧子&勇作
★ひたすらヤスリをかけては、サーフェイサーで修正して行きます。

しかし、このつまらない作業をやり遂げねば、完成はないのです。
そして、やっと完成した暁には…上手く出来なかった虚無感が広がります。
作品制作はこの繰り返しなのですが、実は虚無感こそが大切で、次回作に繋がるのだと信じております。

半眼工房の制作における不文律は「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」「狂気の造形」

頑張らねば!

霧子&勇作2

霧子&勇作3
★まったく、この地味で過酷な作業がいつまで続くのやら…




| 島津霧子 | 09:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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土嚢の高さは恐怖の高さ

田原坂の戦いの資料を見ると、土嚢を幾つも重ね、かなりの高さになっていることがわかります。
士族出身ではない人々が中心の政府軍は鹿児島武士団の斬り込みを極度に恐れていたので、簡単に飛び越えられない高さにしたことは想像に難くないです。

しかし…その高さたるや相当なものです。
土嚢の高さが政府軍の恐怖の高さそのものだと思います。

薩摩隼人、鹿児島武士団の剣術は有名な示現流です。
振り下ろす剣速のみを速くする稽古、最初の一太刀にすべてをかける先手必勝の剣術。

幕末最強と言われ、その破壊力は凄まじく、斬られた人間は瞬時に絶命したそうです。
しかし、示現流の真の恐怖は破壊力やスピードなども然ることながら、自分の命がないことを前提に斬り込んで来る、精神性にあると思います。

自分が死んでも相手を殺す、つまり狂人を相手にせにゃアカンってことです。
これは怖い、正に恐怖だったと思います。

と言う訳で、土嚢を大量に作らねば…

土嚢
☆土嚢×12個くらい?




| 島津霧子 | 21:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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倒れし薩摩隼人

薩摩隼人1


海行かば、水漬く屍
山行かば、草生す屍…

正義武断の名、壹喝して世に示す。

痺れる言葉と言うのが我が日本国には多々あります。

死して護国の鬼となる。

昔の日本人は骨があった…

「雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂」

日本史史上、いや、世界史的な観点から言っても、この田原坂の戦いの17日間と言うのは想像を絶する大激戦でした。
一つの坂を巡る攻防は、非常に狭い空間にも関わらず、政府軍が費やした一日の弾丸は実に21万発!
双方合わせると約30万発と言う膨大な数になり、数百メールの壕内は薬莢で埋まったそうです。
わずか300mの狭い空間で、政府軍、薩軍が撃ち合った結果、弾同士が空中で衝突し、くっついた「かちあい弾」と言うのが数多く出土します。

17日間での政府軍の死傷者約3000人。
一つの坂を越える為、一日180名弱の人間が死傷した計算になります。

う〜ん…この大激戦を再現できるのか、不安になって来ました…

霧子パーツ
☆島津霧子のパーツはかなりの数となります。



| 島津霧子 | 22:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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モリエール!貴様だけは許さん!

ワンフェスの疲れも取れ、モリモリと創作意欲が沸いています。

ネ申童女シリーズを作りつつ、島津霧子を何とか完成させるべく、制作をしています。
しかし…裸ばかり作っている弊害か…服を着た作品に苦労しております。

霧子髪の毛1

霧子髪の毛2
☆髪の毛はただひたすらに紙ヤスリで仕上げるしかありません。

思い起こせば美術大学受験、つまり浪人時代のことですが、自分が専攻した日本画科を始め、ほとんどの学科で石膏デッサンが試験に出る為、好むと好まざるを問わず、受験生は描くことを強いられました。

日本画科は芸大の一次試験に出題されることが多く、やらざるを得ませんでした。
ところが自分はこの石膏デッサンが大の苦手。
それでもマルス、ヘルメス、アムール、ラオコーンなどの裸の像(わかる人にはわかると思いますが)はそこそこ描けましたが、モリエール、ブルータス、パジャント、セントジョセフなどのコスチュームをまとった像はまったく描けませんでした。

特にモリエール…こいつは初心者向けの易しい石膏像と言われていて、初めて描いた大型の石膏デッサンがモリエールでした、と言う人も多いハズ。
しかし、自分は何枚描いても上手く描くことができず、逆に描けば描くほど下手になる気がしていました。
描けなかった理由は未だに良くわかりません…
※モリエールの石膏像はコチラ

実際に結果から見ると明らかで、芸大の一次試験に合格した年、出題された課題がそれぞれアムールと奴隷で、どちらも裸の石膏像です。
結局、一次試験に奴隷が出題された時に二次試験にも合格し、めでたく入学することができましたが、あの時にコスチュームの石膏が出題されていたら、今頃どこで何をしているのやら…
ちなみにモリエールが出題された年も受験しましたが…みごとに不合格でした(笑)

余談が長くなりました。
つまり何が言いたいかと言うと、コスチュームは今も昔も苦手、ってことです。

霧子足1

霧子足2
☆足はわらじを工夫し、ちょっとSMテイストを取り入れました。

| 島津霧子 | 13:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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人間は「退化」したのかもしれんな…

「島津 霧子」は少ない空き時間にコツコツと作っておりますが、まったく進んだ気がしません。
それでも何とか完成が見えて来ました(と、信じたい)。

本来はミニスカにしたいところですが…時代考証的にさすがにそれはないだろう…
と、言う訳でミニスカならぬミニ袴にしました。

金剛力士像

参考にしたのは興福寺に鎮座する「金剛力士像・仁王像」の袴(腰巻き?)。
この作品は実に日本的な動の彫刻で、ギリシャ彫刻やイタリア彫刻と比べても、まったく遜色がありません。
遜色がない所か、表現された筋肉から感じる緊張感や迫力は、西洋のそれを完全に凌駕しています。

大山倍達が、気力体力すべて最も充実し、世界最強を自負していた時期にのみに可能だった伝説の「睨み倒し」…
実物を前にすると、本当に倒れそうになります。

カーズ「フーあきれる…人間は…昔に比べ「退化」したのかもしれんな」
ワムウ「「退化ですと…?」「フフフ…たしかに!」

袴1


袴2

わらじ
☆「わらじ」も作っております

| 島津霧子 | 11:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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